墜落の山・・・あの御巣鷹の尾根に登って
夏休みを利用して群馬県上野村、御巣鷹の尾根に登ってきた。
飛行機に携わる仕事に就いて以来、いつか自分の足でその地に立ってみたい、自分の目でその斜面を見てみたい、そう思い続けていた私が行動を起こすのに実に20年もの歳月を要してしまった。
1985年8月12日、私はバイト先で123便の事故を知った。そして連日のテレビニュースや新聞を食い入るように見ていたある日、父親が某写真週刊誌を買ってきた。そこには墜落現場での犠牲者の遺体写真が掲載されていた。当時の私はこうした報道に怒りを覚えたものだが、父にすれば航空業界を目指す学生の私に何かを感じて欲しいという思惑があったようだ。
そして2005年8月某日。午前9時頃に御巣鷹の尾根登山口に到着。ここから尾根にある『昇魂之碑』まで標高差500メートル、約2キロの山道を登ってゆく。この沢づたいの道程は正直予想していたよりハードだったが、霧に包まれひんやりとした空気の中を、道端の名もなき花たちや小さな滝の涼やかな水音に励まされながら1時間ほどで登りきった。
昇魂之碑に線香を手向け、手を合わせる。目を閉じて520の御霊それぞれの無念を思う。
あの日父に見せられた写真が頭に浮かんでくる。あの犠牲者はその後身元が判明しただろうか。帰るべき場所へ帰ることができたのだろうか。
そして数年前にリークしたCVR(ボイスレコーダー)の音声、コックピットで奮闘の末力尽きたクルーたちの叫び声が蘇ってくる。今私の目前に広がる風景をあの日ウインドシールド越しに見た彼らは、最後に何を思ったろう。
スゲノ沢の下山道にはたくさんの墓標が立ててあり、そのひとつひとつに手を合わせながら下った。この沢は4人の生存者が発見された場所でもある。明暗をわけたものは何だったのか。
みかえり峠で尾根を振り返ってみる。下山途中に尾根が見える最後のポイントとのこと。残念ながらこの日は深い霧のむこうだったが。
駐車場に戻る頃にはあいにくの雨模様。それでも慰霊登山に向かう多くの方とすれ違った。ここを訪れる人ひとりひとりにきっと何かしらの思いがあるに違いない。
帰りの車の中、たまたまセットしてあったスターダスト・レビューのCDから『木蘭の涙』が流れてきて、はっとした。できすぎた偶然。これまで特に意識することもなく聴いていたその歌詞は、まるで犠牲者を偲ぶご遺族の思いのようではないか。ハンドルを握りながら、その切ない歌詞にさっき見たスゲの沢の光景が重なり心が痛んだ。(この曲をご存知の方は歌詞を思い浮かべてみてください)
20年を経てやっとこの地を訪れたわけだが、果たして私は何かを得ることができたのだろうか。心に何か残るものはあったのだろうか。・・・恥ずかしながら自分でもよくわからない。ただ、これからも今の仕事を続けていくだろう私にとって、今回の登山の経験はけっして無意味ではなかったはずだ。そう思いたい。
この記事へのコメント
海にゃん
あの日から数日間の出来事は私も忘れられません。ニュースで流れた終わることのない犠牲者名簿。それを見続けた時の心臓の鼓動と悪寒を今でも思い出します。20年も経ったのに…
坂本九さんが享年43歳だったことをネットのニュースで見ました。毎年書いてあったはずなのに、ついに今年彼の年齢を超えてしまい、そんな若さでこの世を突然去ることになってしまわれた無念さに、あらためて愕然としました。
20年の重さを感じました…
SOAR
30代、40代の犠牲者が多かったあの事故。坂本氏がそうであったように、仕事でも家庭においても人間として最も充実した時間を生きていた人たちですよね。
4月のJR西日本の脱線事故もそうですが、何の罪もない多数の乗客の命が奪われるような悲劇は、絶対に起きてはいけない事だと強く思います。
亀子
当時、私は飛行機の座席を売るほうの職についていたので、あのニュースはいろんな思いがあります。
事故で亡くなった方ももちろんですが、その後の事故対応でおそらくたくさんの方が心労で亡くなられているようです(そのうちの一人をよく知っていたので・・・)
そんなことがやはり起きてはいけないって思いますよね。
現在も細かい事故がおきています。人命にかかわる大きな事故にならないように、願わずにはいられません・・・
SOARさんにとって、有意義な登山だったのではないでしょうか?
SOAR
犠牲者とご遺族、日航関係者、救助や医療に係わった人たち、報道関係・・・。こうした方々以外にも多くの組織や個人の方が間接的に係わり、それぞれの立場でつらい思いをされたのでしょうね。
ひとつの事故が想像もつかないほど多くの人々の人生に影響を及ぼすんですね。
エンジェル