ペンフレンドの二人の恋は
つのるほどに 悲しくなるのが宿命
また青いインクが 涙でにじむ せつなく
若すぎるから 遠すぎるから
会えないから 会いたくなるのは必然
こんな歌を思い出した。同世代の方なら口ずさめるであろう爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」の一節である。
メアリーがマックスに寄せた想いはもちろん恋愛感情ではない(し、そもそものきっかけは文通コーナーでもない)のだが、年月の経過とともに相手を思う気持ちがつのっていく様とそれゆえのすれ違いという展開はなかなか似ている。その帰結が“会いに行く”のも一緒だ。(「玉ねぎ~」の“ぼく”は“きみ”に会えないのだが、なぜ彼女が約束の場所に来なかったかを歌う“わたし”が一人称のアンサーソングがあるのをご存知だろうか・・・ってああ、また余談)
大人になったメアリーがようやくニューヨークを訪れたとき、マックスは既に・・・というシーンにありがちなラストかと思いきや、イスに座ったまま動かなくなったマックスの見つめる先にはたくさんの●●●が。
ふたりが長年、本当に長い期間を経て育んできた友情の結晶ともいえるその光景は、メアリーだけでなく見る人すべての涙を誘うだろう。二人のやりとりが電子メールだったらあり得ないこのシーン。形の残るコミュニケーションだったからこそ味わえる感動にじーんと泣かせてもらった。
ただ正直私の好みとは少々ズレがあったのも事実。人形造形やかなりストレートなブラック加減が苦手な部類だった。プロットはもうど真ん中なだけになんとも残念。
また、クレイアニメならではのその良くも悪くも大味な造形や表現は、長編作品にはあまり向かないような気もした。ストップモーション・アニメーションといえばクレイアニメ。粘土が変形しながら“動く”様子は楽しいし、何より手作り感が伝わってくる手法だと思う。そのインパクトは短編でこそ威力を発揮するのではないかなあ。
ストーリーやキャラクター設定なども含め、少なくとも映像としてのコマ撮り作品の魅力という点では、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』や『コープス・ブライド』、そして『コララインとボタンの魔女』のようなタイプのストップモーションのほうが私にはしっくりくるようだ。
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